岩坂彰の部屋

第16回 オリンピック・ボランティアの思い出

岩坂彰

2016年のオリンピック開催地を決めるIOC総会の中継を見ながら、1998年の長野冬季オリンピックを思い出していました。当時私はちょうど仕 事の方向性を変えようとしていた頃で、97年の秋にドイツで3カ月ほど過ごして帰国したばかりでした。さしあたり急ぎの仕事もなく、実家のある長野でのオ リンピックなので、ドイツ語通訳のお手伝いでもしようかと、ボランティアの申し込みをしたのでした。

ところが割り当てられた職場(?)は、IOCホテルのセキュリティ担当。IOCホテルというのは、大会期間中にIOCの本部となった長野市内の某ホ テルのことです。ホテル内をゾーンで区切り、空港のセキュリティゲートのようなものを各所に設置してアクセスコントロールをしていました。ボランティアの 仕事は、ゲートを通ろうとする人が首からかけている「アクレディテーション・カード」のカテゴリーを確認することです。

「タダで競技を見られる」ことを期待していたわけではないのですが、選手と接触できないというのはちょっとがっかりでした。それに、IOCは英語と フランス語が中心ですから、ドイツ語を使う機会もあんまりなかったですし。それでも、ここで一緒に働いた数十人のボランティア仲間たちとの1カ月弱は、私 にとって忘れることのできない思い出です。

なぜか深夜にシフト表作りの日々

私の「アクレディテーション・カード」と腕章。腕章のセキュリティの表示は、フランス語/英語の順番です。

IOCホテルのセキュリティチームの責任者は、長野県警から出向してきた警察官のIさんでした。刑事さんとのことでしたが、そうは見えない温和な男 性で、でもときに眼光が鋭く光る、なかなか素敵なおじさまでした。しかし正規のスタッフはこのIさん1人だけで、あとはセキュリティゲートを操作する警備 会社の人たちと、私たちボランティアだけです。(VIPに付くSPのみなさんは別組織。)現場対応は基本的にボランティアに任されていました。そんなこと でいいの?と最初は思いましたけど、なんとかなるもんですね。2001年の同時テロ以降だったら、こんな甘いセキュリティは考えられなかったでしょうけれ ど。私のように期間を通じてずっといるボランティアはむしろ少なく、たいていは5日だけ、1週間だけという人で、スタッフがどんどん入れ替わっていく状況 でしたから、Iさんは、私を含めて3人ほどを「リーダー」に指名し、私たちが、誰がいつどのゲートにつくかという配置を決めることになりました。

ボランティアといってもいろいろです。自分の外国語力を活かしたくて来ている人もいれば、できれば英語は使いたくない、という人もいます。それぞれ 来られる時間帯も違います。また、ゲートによって、忙しくてとっさの外国語対応が必要になる場所もあれば、とてもヒマで退屈してしまう場所もあります。 次々と入れ替わっていくボランティアスタッフのそれぞれの事情を勘案してシフト表を作るのはけっこうたいへんな作業で、結局私は、自分はシフトに入らず、 人の配置を考えながらあちこち動き回り、何か問題が起こると対応に駆けつける(全員小型のトランシーバーを持たされていました)という、テレビに映るオリ ンピック競技からすれば裏方の裏方の裏方という感じの仕事をしていたのです。

IOCホテルのセキュリティは24時間体制です。もちろん深夜は開けるゲートの数を減らしてスタッフも少数で済ませていましたが、どういう理由だっ たか、大会の終わり頃は私がずっと泊まり込んで、深夜に翌日のシフト表を作りながら見回りをして、昼間は寝ているというような生活でした。ですから私は、 オリンピックの中にいながら、ほとんどオリンピックを見ていないのです。なんか今日はジャンプで原田さんが頑張ったらしいよ、みたいな。(白状すると、ど こからか回ってきた券で2回ほど競技を見させてもらいました。女子の回転とリュージュだったな)。

ときおり関係者がアクレディテーション・カードを忘れて出かけてしまったり、一部の傲慢なIOC委員が顔パスで通ろうとしてボランティアスタッフともめたりということはありましたが、とくに大きなトラブルもなく無事にオリンピックを終えることができたのでした。

誰のためのボランティア? 誰のためのオリンピック?

これがボランティアの「制服」です。首からカード、右手にトランシーバー、左手に資料、こんな格好で飛び回っていました。今でもこのトランシーバーの感触は手に残っています。

ボランティアの中心は全国各地から集まってきた大学生と、地元の中高年女性です。平日の昼間が中心ですから、私のような中年男性は珍しい存在。これ に対して、組織委員会の正規スタッフは、Iさんのように県庁その他の役所の人や、関係企業からの出向者です。なんといってもオリンピックはお祭りですか ら、大学生は少々遊び気分が入ってしまうのも仕方のないところ。浮かれぎみの学生ボランティアに、お役人のおじさんが「そんな奴にはボランティアやらせな いぞ」と一喝する場面もありました。叱られた学生はしゅんとしていましたが、横でいていた私は、「僕らは別に、ボランティアをやらせてもらっているわけで も、やってあげているわけでもないんだけどなあ」と、心の中でつぶやいていました。

ボランティアたちの間に、お願いして「やらせてもらっている」という雰囲気がなかったとはいいません。それでも、この「平和の祭典」の一端を主体的 に支えているのだという意識は、みんなある程度は持っていたように思います。ともかく無事にやり遂げなければという義務意識を負わされた組織委員会のス タッフより、むしろボランティアのほうが誇りを持ちやすかったかもしれません。

ボランティア一人一人は、個人的にいろいろな理由があって集まってきたのでしょう。私自身も、「ドイツ語のブラッシュアップ」という不純な目的(実 際にはあまり果たせませんでしたが)や、ノンフィクションの翻訳家としてあらゆる体験はプラスになる、という勝手な思いで申し込んだわけですが、そんな私 でも、オリンピックという(いろいろ問題はあるにせよ)世界の未来に向かうプロジェクトに関わる中で、自分の立ち位置を見直す機会を持てたのです。とくに 若い学生ボランティアは、国際経験豊富な面々が集まるIOCホテルの中で、さまざまな刺激を受けているようでした。

ご存じない方も多いと思いますが、近代オリンピックは元来、若者のためのものです。オリンピック憲章の第1章冒頭には、次のように書かれています。

The goal of the Olympic Movement is to contribute to building a peaceful and better world by educating youth through sport practised in accordance with Olympism and its values.
オリンピック・ムーブメントの目的は、オリンピズムとその諸価値に従いスポーツを実践することを通じて若者を教育し、平和でよりよい世界の建設に貢献することである。

JOC訳

サッカーのオリンピック代表が原則23歳以下に制限されているのも、あながち意味のないことではないのです。先にも書きましたように、オリンピック は未来の世界を志向しているということですね。もっとも、実際にはそうなっていないから、来年から「ユース・オリンピック」なるものが別に始まるのかもし れませんけれども。

憲章に書かれているのはあくまで競技者としての若者ですが、ボランティアや観客も含め、そこに関わるすべての若者が「世界」に向き合う足がかりとな るのが、オリンピックというイベントなのではないでしょうか。あのとき一緒に働いた学生ボランティアたちももう30歳を過ぎ、それぞれに世界の舞台で自分 の道を切り開いています。

若者の国際意識を高めるという意味では、今回立候補した4カ国の中でいちばん相応しいのはアメリカではないか、などと皮肉なことを考えていた私です が(アメリカは冬季を含めてすでに8回もオリンピックを開催しているんですけどね)、2014年のワールドカップ、そして2016年のオリンピックを支え るブラジルの若者たちのその後に期待しましょう。

(初出 サン・フレア アカデミー WEBマガジン出版翻訳 2009年10月13日号)